2015年05月15日

Hello World

Welcome to the world my boy. Fortunately(or unfortunately) your father is a Juggler. I don't force you to become a juggler but here is a first present for you with all my love.

Posted by Maro Kurita on 2015年5月14日
posted by まろ ジャグリング at 12:43| 私事

2014年03月12日

2014.03.11

今日の体育館練習中、午後に館内放送に合わせて1分間の黙祷をしました。
思えば3年前のこの日も同じ体育館で練習していました。

その時は大きな地震だなと思っただけで本当に何が起きているか知らないまま、
その揺れの中でも3回転は出来るとか、練習を続けていました。
さすがに体育館全体が軋み出してからこれは危険だと思い外に出て、
建物から少し距離をとって5ボールの練習をしていたことを思い出します。

その後も夕方まで練習をして、大変なことが起きていると気づいたのは
ネットニュースとyoutubeでの津波の映像を見た時。
本当に信じられない状況でショックでもあり、
その後しばらく続いたエンターテインメント業界全体の自粛や計画停電。

当時ブログに書くことも違うと思い書かなかったのですが、震災2か月後に被災地からの
ボランティアパフォーマンスの話をいただいて、名取市に行ってきました。

ショーをしたショッピングモール周辺は奇麗で何事もないように見えましたが、
現地の方が被災エリアへ案内してくれた時に、どんどん変わっていく風景に絶句しました。
映像で見ることと現場に立つことの違い。
海岸近くまで行くと、見渡す限り全てが津波に押し流されてしまった街。
これは、ここにいたというだけで、個人ではどうすることもできなかっただろうなという実感。

後でgoogleストリートビューを見て、あぁここには幼稚園があったのかとか。
胸が張り裂けるような、言葉にすることができない悲しみがありました。

でもそのボランティアショーのわずか6日後。
弟の隆が24歳で亡くなりました。
そして、たった6日前に、こんなに悲しかったことはないと思っていたのに、
それとは比べられない位につらく悲しい気持ちになりました。
今当時の記事を読み返すだけでも涙が出るほどに。

あらためて思い知ったことは、人は他人の死を自分の身内のように悲しむことはできないということ。
大震災での死者も、僕が感じたこの悲しみが、一人一人の家族にもあるということ。

でも当事者と同じように悲しむことができないのは当たり前のこと。
それでも僕は弟が無くなった時に、友人やお客さんが声をかけてくれた時、本当にありがたかった。
自分の悲しみより何より、弟の供養になると。

だからそれぞれの出来る範囲で、ただそちらを向いている、
心を寄せているということが大切だと感じています。
東日本大震災のことを思い出すと弟のことも思い出します。
きっと一生東日本大震災のことを忘れることはないでしょう。

一体自分に何ができるのか。
もうずっと前に答えは出ているのですが、何があっても、どんな状況でも、
ただ淡々と自分の練習をすること、良い演技ができるように準備をすること。

誰といつ別れがあるか分からない。
自分自身もそう。
その最後に見てもらうことになったショーは、ベストを尽くせたのか。
いつも別れがある度に自問します。
別れのショーをやり直すことはできない。
悔いの無いように、毎日覚悟をあらためて生きていこう。

最後になりましたがあらためて震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
posted by まろ ジャグリング at 01:38| Comment(3) | 私事

2013年06月28日

同じ場所で

yoyoYUKKIがいってしまってから一年
また同じベルリンのアパートで目を覚ますと、
あれは一体いつのことだったのだろうか、記憶が強く蘇る。
今日はYUKKIのことを思いながら、
恥じることのないよう、しっかり練習します。
タグ:yukki yoyo
posted by まろ ジャグリング at 15:05| Comment(2) | 私事

2012年11月13日

Lukeとの関わり

初めてLukeに会ったのは2006年にベルリンで彼のワークショップに2週間参加した時でした。
当時はLuka Lukaの一人としか認識していなっかたのですが、
Luka Lukaとしての活動は2005年が最後だったそうです。

彼のクラスはとにかく情報量が多く、ベルトに腕時計を付けていつも時間をチェックしながら、
このエクササイズは1分35秒、では次、説明に3分12秒、次のエクササイズに5分25秒・・・
と技の練習やマスターではなく、様々なコンセプト、理論を伝えることがメインで
座ってメモを取る時間も多い。
そしてクラスの最後に説明をして、ちらっと時計を見て「13時0秒。終わり。」
というような独特のキャラクター。
英国人とはこういうものかと思いつつ(もちろんLukeが特殊)、徹底的に考えて分析し、
考え得る全ての可能性と組み合わせを理論化しているLukeに刺激を受けたものでした。

その後まろがベルリンやライプツィヒのヴァリエテに出演した時にLukeがショーの司会として
出演していたり、時々各地のステージやkatakombenで再会していました。
彼はマジシャンでもあり、ドイツ語とフランス語も流暢だったので、
ドイツ語で様々なショーの司会もこなしていました。


最後に彼に会ったのは今年の2月、ベルリンでティーチャーズワークショップに参加した時。
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長年住んでいたケルンからベルリンに引っ越してきたというので、
これから会える頻度も増えるかなと思っていたのですが。。。
2月に会った時は元気そうでしたが、10月3日、癌で亡くなったそうです。
1976年10月30日生まれ、享年35歳。
ついこの間いろいろと議論を交わしたばかりなのに信じられない。

Lukeから学んだ沢山の理論とコンセプトはこれからblogや新ジャグリング教室でお伝えしていきます。
とても寂しいですがそれでも今年2月に会えたのは良かったな。
ありがとうLuke、やすらかに。
タグ:wilson luke
posted by まろ ジャグリング at 18:26| Comment(0) | 私事

2012年11月10日

Luke

Lukeのことを書こうと思うといつも固まってしまい、そのままblogも更新せずにいました。
全てを書くにはLukeが創ったもの、残した物が大きすぎるので書ける時に書きます。

Luke Wilsonについて、あまり日本では知られていないかもしれませんが、
Luka Lukaとして来日したこともあるのでチームとしては知っている人がいるかもしれません。

Luka Luka


Luke Wilson solo EJC1998
オリジナルで創造的、理路整然として秒単位で物事を進める完璧主義者。
キックアップやリストトラップのバリエーション、クラブマニピュレーションのアイデアなど、
彼のアイデアはその後のジャグラー達に大きな影響を与えています。
ヨーロッパのジャグリング界ではアーティストとして、また教師として本当に尊敬されている有名人でした。
こうして見ると1998年の時点でこの演技は凄いなとあらためて思いました。

・・・これからショーの出番なので続きはまた。
タグ:wilson luke
posted by まろ ジャグリング at 15:38| Comment(0) | 私事

2012年10月24日

Luke

昨日Luke Wilsonの訃報に接しblogを書こうと思ったのですが、
思うことが沢山あるとエネルギーも必要で結局書きはじめることができませんでした。

今日帰宅後書けるかな。。。
ちなみに今は学校での新ジャグリング教室から帰宅し、
これから桜木町の新ジャグリング教室に向かうところです。
思うことは本当に色々あるのですが、とにかく自分のことをしっかりやるしかできないんですよね。

。。。8月中旬から痛めていた右ひじを昨日スポーツ専門医で診てもらいました。
レントゲンなどを撮って確認した結果、右前腕の骨の付け根が変形して固くなっており、
周りの筋肉が炎症を起こしているとのこと。
野球肘やテニス肘のようなもので、明らかにオーバーユースですねと言われてしまいました。
そしてよくここまで練習されましたね。もう休まれてはいかがですかとも。
。。。まさかの引退勧告?
そうはいかんのですよ先生。
さっそく野球、テニス肘用のサポーターと練習後のアイシング用具を購入して使っています。
タグ:wilson luke
posted by まろ ジャグリング at 16:13| Comment(0) | 私事

2012年07月07日

ユッキー/鈴木幸宏くんの想い出

7月3日朝のダンスクラスを終え、午後に久しぶりにネットを見たらyukki RIPの文字が。
意味は分かるけど現実が理解できず、様々なリンクを辿るとどうやら本当らしい。
まろは知りませんでしたが6月27日ドイツでの訃報をすでにみんなは知っていたようで、
沢山のお悔みの言葉、そしてfacebookにユッキーとの写真。
ひどいショックで色々なことをぐるぐると考えながら、
それでも午後の練習と夜のコンテンポラリーとバレエのクラスにも参加。
ユッキーはまだドイツにいるのだろうか、それともパリ、日本だろうか。
パリだったらご家族に連絡して最後にユッキーに挨拶に行きたいけど、
こんな大変な時に勝手に押しかけるのは迷惑だろうかとか、色々考えていました。
夜帰宅後にネットチェックしていたら7月4日にデュッセルドルフで荼毘に付すと情報更新。
明日デュッセルドルフ。
まだユッキーはドイツにいたのか。
飛行機、電車などの交通手段をチェックし、飛行機だったら朝7時にはデュッセルドルフに着けることを確認。
でもすでに時間は夜12時過ぎ、この時間に連絡をして勝手に押しかけるのはやはり良くないな、どうしようと悩んでいたらさらにユッキーの友人が作ったラストショーの案内がアップされているのに気づきました。
facebookの方には友人や仲間を招待すると書いてあったので、
よし、行っていいんだなと交通チケットの確認。
お別れの時間は11時から14時だったので、電車で向かうことにし、
朝4時に家を出て10時過ぎに会場の街に着きました。
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ベルリン中央駅。朝4時30でももう明るい。
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デュッセルドルフ中央駅
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ローカル線でさらに3駅、この教会の手前を左に30mほどの場所が会場でした。
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近くの街並み
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少し時間があったので歩いてみたらすぐそばに見晴らしの良い川が。
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向こう岸に遊園地などもあって、ユッキーこういう場所好きかもな〜と思ってみたり。
ドイツ人の小中学生や大学生位など、遠足のようなグループも沢山いて、ドイツ人にとってもここは観光地のようでした。
綺麗で雰囲気の良い街。

時間になり、会場に向かったらちょうどヨーロッパツアー中だったバーバラ村田さんとマチルダさん、パリでユッキーのエージェントをしていたHatoさん、ユッキーラストショーのチラシを作ってくれたArthurに会いました。
ユッキーにはまだご家族も対面できていなかったそうで、
まずはユッキーの奥さんとお母さんから、その後に参列者ということになりました。
会場は絨毯や壁のオブジェ、絵画など落ち着いた雰囲気の葬儀屋さんといったところで、
地下1階にユッキーはいるとのこと。
初対面だった奥さんとお母さんにお悔やみの言葉も上手く言えず、
普通の挨拶だけしてユッキーに会いました。
そこに眠っていたのは確かにユッキーでした。
棺の中でユッキー出演のチラシや手紙、折り紙や花に囲まれ、
手元には2つのヨーヨーとテーピング。
眉もすっきりシャープなまま、綺麗な顔でただ眠っているかのようなユッキー。
仄暗く暖色の明かりに照らされた部屋の壁には十字架にイエス様の彫刻。
みんなと色々話しつつ、みんなで風船を膨らませて棺の横に置いてみたり、
サイリュームを点灯して飾り場所に悩んでみたり(顔のそばに置くと怖い)。
もちろんみんな悲しいんだけれど、沢山の笑いもありました。
「ここに置いたら怖いよー!」とか言いながら。
少しするとドイツでユッキーと縁があったアーティストやオーガナイザー達もやってきました。
みんな沈痛な面持ち。
入れ替わりで部屋の外に出て、扉の前に置いてあったノートPCでユッキーのスライドショーを見ながらみんなユッキーの思い出を語っていました。
ショーの他にやたらJOJO関係のものが出てくる。
イラストだったり写真のポーズだったり、揚げ物で石仮面を作っていたり。
もしもギネスブックに「外人にジョジョ立ちをさせて写真撮影した人数」という項目が
あったら間違いなくユッキーが世界一だと思います…
BGMはユッキーが好きだったりショーに使っていた曲。
7月4日荼毘に付すとの告知でしたが、実はいつ火葬できるかまだ分からなかったそうで、
奥さんとお母さんは翌日帰国し、火葬後あらためて渡独するとのことでした。
そうかぁ火葬にご家族は立ち会えないのかと思っていたら会場の担当者が
明日朝に火葬を行えることになったと教えてくれました。
そこからまた慌ただしくなり、奥さんの航空券の取り直しや日本領事館への連絡など、
様々な確認を行っていました。
結局奥さんが滞在を2日ほど延長し、ユッキーと一緒に帰国できることに。
ドイツでユッキーが一人で待つことにならなくて良かった。
会場を14時に出なければいけないのかと思っていたら厳密ではなかったらしく、
名残を惜しみながら17時頃にみんなで会場を出ました。
最後にスライドショーでユッキーの写真と共に流れていた
「はじめてのチュウ」がこんなに悲しく聞こえるなんて。


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最後会場前、みんなでジョジョ立ち
まろもお母さんにポーズを教えてもらってジョジョ立ちデビュー。
本当に悲しいのですが、やっとユッキーに会えたこと、お別れができたこと、
会えない時間の方がつらかったから不思議とみんなすっきりとしていました。
みんな良い表情でしょ?
あまり湿っぽいのもユッキーは望まないだろうし。
だけどやっぱりみんなそれぞれ一人になったら悲しいんだよね。
特にご家族はこれからもずっと思い続けるでしょう。
でもユッキーと一緒に過ごせる最後の時間は、沢山涙もあったけれど、
せめて明るくお別れできたのは良かったと思う。
その後みんなでドイツ料理を食べ、まろ一押しの川まで歩き(ちょっと迷惑)
デュッセルドルフ中央駅で別れました。

ベルリンまで5時間ちょっと、なかなか沈まない夕日を眺めながら
このままいつまでも沈まないでほしいなと思っていました。
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この写真で夜9時半過ぎ。
流石に10時をまわると薄暗くなり、ベルリンに着いた11時過ぎには真っ暗に。
だけど空を見たら今度は地平線近くに満月が。
何となく救われたような気持になりつつ、太陽と満月が
ユッキーが操るヨーヨーのように思えたり。

これがユッキーラストショーinデュッセルドルフの話。
ここから簡単に個人的なユッキーの思い出を書いておきます。
ユッキーのことは忘れないけど、やっぱり思い出は遠くなってしまうから。
はじめてユッキーに会った時、彼はまだ中学生でした。
まろが渋谷児童会館でクラウンとしてショーをしていたら、
近くで同時にハイパーヨーヨーキッズの会?をやっていました。
その時声をかけてくれた少年が一人いて、それがユッキーでした。
まろは忘れていたのですが、数年後、中野の劇場で舞台に出演した後に
またユッキーに声をかけてもらい、実は渋谷でも声をかけたことがあるんですよ〜
今日も凄かったです!と言われ、そこからユッキーとちゃんと知り合いになりました。
ユッキーの印象は今も昔もあまり変わらないけど、
天真爛漫で人懐こくて不思議で優しく、繊細な感じでした。
何度か会う内に当時まろはフランスのサーカス学校への留学を考えて
各地の学校を訪ねていたことや、先輩の金井圭介さんが
フランスの国立サーカス大学CNACの卒業生だったことなどから、
ユッキーにフランスのサーカス学校情報を教えたり金井さんへの連絡を取りついだりしました。
そういえば家に泊まりに来たこともあったっけ。
その時CNAC応募用のユッキービデオをまろ8oカメラで撮影したり。
撮影したのは2003年12月頃だったでしょうか。
日本にまだそのテープが残っていると良いのですが。
CNACへの入学は厳しいので苦戦するかなと思っていましたが、
ビデオや書類を送ってからはどんどん話が進み、実際に試験を受けられるようになったとか、
試験はパスしたけどあとは語学力のチェックにパスしなければいけないとか色々話をしてくれました。
実際にユッキーがCNACに入学してからはまろもフランスではなく
ドイツに留学を決めたため、数年に一度会う位になりました。
たまにフランスのジャグリングやサーカスのフェスティバルで一緒になったり、
帰国してヨコハマ大道芸フェスティバルで顔を合わせたり。
3年前位でしょうか、仲間と一緒にドイツのオーディションを受けてドイツのヴァリエテで
仕事をできるようになったとか、一緒に受けたフランス人のpich達は駄目だったとか教えてくれました。
ベルリンに来たら遊びに行きます〜とはしゃいでいたな。
そして最近人づてにユッキーが結婚したと聞いていました。
そうかユッキーも結婚したのか、めでたいな、それが最後の認識。
そこで今回の訃報だったので本当にびっくりして信じられなかったのです。
今回のお知らせでユッキーが26歳だったことを知り、去年24で亡くなった
まろの弟と同学年位だったのかと初めて気づきました。
そんなことからもまた色々と思う。
ユッキーとの関係は何でしょう、今まで書いた通り友達というよりは年の離れた後輩、
ヨーロッパでショーをやっている仲間、というような意識だったでしょうか。
日本でもパリでも、会うたびに「まろ兄ぃ〜」と笑顔で飛び込んできたユッキー。
まろがライプツィヒのヴァリエテでショーをした時、共演者のスウェーデン人が
「ユッキーっていう日本人を知っているよ。俺はCNACの一年後輩なんだ」と
声をかけてきたり。
(スウェーデン人は綱渡りのキモという名前だったと思います)
段々ドイツでもユッキーの名前を聞くようになり、そう遠くないうちに
会えそうだなと思っていたのに。。。

今回ユッキーが亡くなったのがドイツだということを知った時にドキッとしました。
ドイツ?まろの国じゃないかと(違うけど)
だからなおさら縁を感じ、できることならユッキーを見送りたいと強く思ったのです。
ユッキーがフランス行きへの挑戦をはじめたところから、ヨーロッパの旅の終わりまで。
ユッキーの旅を見届けることができたのはやはり何かの縁だったのでしょう。

人生はいつまでも続かないということを去年弟から教わり、
またユッキーから強く教わりました。
より強く、時間を大切に生きなければいけないね。
ありがとうユッキー。
君との全ての想い出に。
さようならユッキー。
沢山の努力をしてきた君だから、今はゆっくり休んでください。
日本に帰ったらまた会いに行くよ。
posted by まろ ジャグリング at 04:59| Comment(3) | 私事

2012年07月05日

YukkiYOYO

昨日の午後ヨーヨーアーティストYukkiの訃報に接しました。
2012年6月27日、享年26歳。

本日7月5日、日本時間14時過ぎにデュッセルドルフで火葬が行われるそうです。
縁のあった方はその時間、どうか彼のために祈ってあげてください。
いろいろ書きたいのですが明日ちょっとスケジュールが大変なので、
金曜日にあらためてblogを書きます。

P.S ドイツ人ジャグラーのKelvin Kalvusのワークショップ詳細、会場が決定しました。
昨日正式に告知しようと思ったのですが、今週は小さく喪に服し、
来週あらためてお知らせします。
posted by まろ ジャグリング at 07:54| Comment(0) | 私事

2011年05月31日

ありがとうございます

ネットや手紙、直接お会いした時など、色々な形で
お悔やみの言葉をいただいたみなさん、ありがとうございます。
そして弟の写真を見て、祈っていただいたみなさん、ありがとうございます。
形のあるものは直接、ネット経由のメッセージは印刷して弟に伝えてきました。
隆の顔を沢山の方がご覧いただき、祈っていただいたということ、
兄として本当に嬉しく思います。

さみしさや後悔、悲しみは尽きず、人生でこんなに泣いたことはないというほど
涙を流した一週間でしたが、日本を離れるまであと二日となりました。
様々な思いを呑み込んで、より強く、より遠くへ進んでいけるよう、
ヨーロッパに行っても頑張ってきます。

前回の日記に新しくコメントをいただけたら、折を見て隆に伝えに行きますので、
引き続きメッセージなどありましたら是非よろしくお願いします。
posted by まろ ジャグリング at 02:04| Comment(1) | 私事

2011年05月25日

私事ですが

エンターテイナーとしては迷ったのですが、今日だけ個人的な事を書かせてください。

僕は三人兄弟の次男で、1つ上の兄と9歳下の弟がいます。
僕はこの十数年、様々な街、国を回っていたのであまり家族と過ごすことはありませんでした。

先日5月22日、僕の弟が亡くなりました。
隆(たかし)といいます。
たった三日と思えないほど、この数日は長かった。
今日の昼から近親者のみで葬式をします。
あと数時間して火葬したら、本当にもう写真でしか顔を見られなくなる。

弟のことを知っている人はあまり多くなかったから、どうぞ顔を見てあげてください。
そしてもし良ければ彼のために祈ってあげてください。
きっと喜んでくれると思います。
1986年6月15日生まれ、2011年5月22日没。享年24歳です。

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2006年8月、渡独前に実家で一緒に撮った写真。
この十数年で唯一弟と一緒に写っている写真かもしれません。
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小学校2年生の時の絵。
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今回は突然このような話題ですみません。
そして写真をご覧いただきありがとうございます。

隆、24年、ちょっと早かったな。
お疲れさま、ゆっくり休んでくれ。ありがとう。
posted by まろ ジャグリング at 09:10| Comment(14) | 私事